福島県浪江町に行って来ました。


 復興支援でいつもお世話になっている小松様のお手配で震災・被爆という天災・人災に見舞われた福島県双葉郡浪江町を訪問させて頂きました。
町から通行許可書をもらわなければ入れない場所です。あの3月11日から2年と8ヶ月という時間が経過した今、この町は復旧という言葉からは程遠い無残な姿で放置されていました。

 町を横切る国道5号線を通過する車以外、町では猫1匹にも出会う事はありません…。全く音のしない、空気も動かない、怖い程静かな中で信号機だけがポカポカ空しく点滅しています。雨風にさらされて住む人を失くした家屋はあちこちで崩れかかり、悲しい町に一層拍車を掛けている様に見えました。
 住んでいる町が町としての機能を失くし人はバラバラに分散されもう一度帰れるという希望も薄れていく中で、心の奥底を押し計る事など到底出来はしませんが、ずっしり重い気持を受け止めて町を後にしました。
 実は今回浪江町の功労者として大嶌屋を選んで頂き、その表彰式に呼んで下さったのが訪問のきっかけでした。大きな額入りの賞状とずっしり重いメダル、町名が入った漆塗りの杯。身に余ると思いつつも母に見せたいとかどこに飾ろうかなど、浮き立った気持ちの私がいました。式典はお昼に終わり、その後小松さんにお世話になり2時間程山道を越え、浪江町を訪問したのですが、午前中に胸をかすめた思いがとても恥ずかしく、猛烈な自己嫌悪におそわれました。
 一つだけ救いは、私達の支援先が浪江町の方々で本当に良かったという事です。福島県庁でも、役場でも大量のみかんは配布が大変で受け入れ困難と言われ、諦めかけた時に小松様のお陰で皆様と繋がることが出来ました。今回の受賞についても、小松様の後押しがあっての事に違いありません。
 小松様への感謝の気持ちと重ねて今回現地を訪問させて頂いた事は、私達の気持ちを新たにするきっかけになりました。これから先も、浪江町の皆様に少しでも笑顔のお手伝いが出来る事を続けて参ります。この日本の中にあの様な悲しい町の存在がある現実から目を逸らさず小さな行いではありますが、浪江町の皆さまに本当の笑顔が戻る迄……。