命をいただくという事
3月6日(日)出身地・御船町七滝に帰り、母を連れていとこの家に遊びに行きました。
三人でこたつを囲み、全部手作りの揚げ餅、ざぼん漬、大根のつけ物等をお茶うけに話しに花を咲かせている所へ、いとこのご主人がかけ込んで来ました。
「おおごつ(大変だ)、おおごつ(大変だ)、猪の罠に鹿ん掛かっとる」
と言います。
聞けばまだ生きているので、食べられるとの事。
大至急で助っ人を呼び、手伝ってもらう事になりました。
大きくて真っ黒な馬の瞳はとても美しいです。
私達は10年以上前から、馬刺しの販売を行っています。
馬刺の小パックとお馬さんは、どうしても同じには思えず、あの美しい目を持つお馬さんが、馬刺になる迄の過程を深く思い描く事もありませんでした。
平気で食べたり販売したりしているのに、それが命を失うことで、得られている事を認識したかったのかもしれません。
私は、解体を見届ける事を決めました。
苦手な方がいらっしゃったらすみません。
食べ物は、元々命だった事を知ってもらいたくて掲載しました。
いとこのご主人が、逆さに吊り下げられた鹿をお酒で清め
「お前が悪さばせんなら山に返してやるとばってんねぇ」
と話しかけています。
流石に殺す所は見れませんでしたが、首をはずし、皮を剥き、内蔵を出したり、足をはずしたり…。
何度か戻しそうになりながらも、鹿は日頃私達が目にする肉のかたまりに近付いて行きました。
三人掛かりで約2時間、肉との格闘です。
生き物の鹿が食べ物の肉になるのは大変な過程だと知りました。
一番美味しい刺身で食べられる所を生暖かいままもらって帰りました。
とても自分では食べられそうにはありません。
人間は貪欲です。
動物は限られた物だけを食べて生きていますが、人だけは何でも食べます。
肉も魚も元は生き物。
多くの命をいただきながら生きている事に感謝していただかなければ、罰が当たると思いました。
赤ん坊の頃に食べられるのはミルクだけですが…
小春日和の一日、いとこのお陰で貴重な体験をさせてもらいました。
鹿の肉は小パックにして、真空冷凍で保存しています。
誰の口を楽しませる事やら…。
暖かくなったり寒くなったり、温度が日々大きく変わります。
体調をくずされない様、お過ごし下さい。
今日も読んで頂いてありがとうございました。
感謝