「れいろう」という名の月刊誌があります。倫理・道徳の研究と、社会教育を推進する研究教育団体が出版されているものです。大正15年に創立された研究所ということなので歴史はとても古い本です。
5月のとある日、タニサケの松岡会長より、本の1ページに「母を憶う」というコーナーがあるので書いてみませんか?と誘ってもらいました。
小学校しか出ていない農家に嫁いだ母の人生が何か文章になるだろうかと思いを巡らせてみました。それまで、母のことをこうして考える機会などなかったのでとても新鮮でした。
以下、原文です。
母は口数の少ない人でした。「宿題はしたか?」「テストはどうだった?」など、普通の家で交わされるような会話は一度もした覚えがありません。人としての生き方や行儀作法を教えることもなく、黙々と働く姿を見せ続けてくれました。
四人の子供をせめて高校までは出したいという思いから、米作りの合間に養蚕、冬場は日雇いの工事現場で休むことなく働いていました。きっと子供一人ひとりに心を配る余裕などなかったのでしょう。
そして母はあまり笑わない人でした。満面の笑みや声を出して笑う姿を見たことがなく、ふっと笑ったように見えるその顔は少し恥ずかしそうで、どことなく悲しそうにも見えました。
酒癖の悪い父に怒鳴られ、泣きながら小屋の二階に逃げ込むところを何度も見ました。それでも母は愚痴をこぼしたり、弱音を吐いたりしたことは一度もありませんでした。
私がまだ二十代のころ、姉弟三人で同じ会社にお世話になっていました。その会社の社長さんから母に「どうしたらこんな働き者の子供たちが育つのか」と問われたことがありました。母は、ただ恥ずかしそうにしているだけでした。その三人の姉弟は、現在自分で会社を立ち上げ、それぞれが経営者となりました。
仕事の大切さを生き様で見せてくれた母の人生は、私たち四人の子供に根強く息づいています。母を見てきて思います。子育て、人育ては言葉ではないのかもしれないと。私たちは母に無言の教えをもらい、確かに育てられました。
母は、現在八十六歳になりました。元気に野菜を育て、ひ孫のお守りをしながら周りの人たちに愛され幸せな余生を過しています。母に言いたい言葉はただ一つ。
「母ちゃんあなたの子供でよかった。育ててくれてありがとう。」
そしてこの春、熊本は二度の地震で大きく壊れました。そんな中、多くの方からの優しさ、温かさが熊本に届いています。日本は素晴らしい。つらいことがあったからこその実感です。感謝。
何人かに頼まれているらしく、もしかしたら落選するかもしれないけど、そのときはごめんね、と言われ、気持も軽くなり書いた内容でした。編集の方から、とても感動しました、と連絡があり、9月号で紹介されることになりました。
母に改めて「ありがとう」など日頃からほとんど言ったことがありません。この本が出たら真っ先にプレゼントします。きっと喜んでくれることと思います。
今日も読んでいただいてありがとうございました。
大嶌法子