子供の頃のちょっと切ない花火の想い出
<この道よりもっとでこぼこでした>
私は、姉・妹・弟と私の4人兄弟です。子供の頃、家に車はなく、父が小さなバイクに乗っていました。
夏休みの終り頃にある、町の花火大会には、父のバイクの後ろに乗って、1人だけ行く事が出来ました。
つまり4年に1回見れる訳です。その年は、まさに4年間待ちこがれた、私の番でした。
夕方からドキドキ、ワクワクしながら両親が田んぼから帰って来るのを、ひたすら待っていました。
毎日の事ですが、暗くなっても二人共帰って来ず、私は泣きたい気持ちを必死にこらえていました。
やっと帰って来た父は、汗臭い野良着のまま、バイクにまたがり
「乗れ」と一言。
覚えてくれていたんだと、ホッとする間もなく、まだジャリ道だった町までの道を下って行きました。
その間、荷台のいすは本当に固く痛く、30分もかかる道を止めてとも言えず、ひたすら我慢していました。
なにせ着いたら4年に1度の花火です。我慢出来ない事はありません。
もうすぐ見える所に着く!!と、思ったその目に写ったのは、最後の一発でした。
ぞろぞろと皆が帰る中「戻(もど)っぞ」と一言。
わた菓子一つ買うでもなく、とんぼ帰りです。
帰りはひたすら登り坂の道、多分行く時の1.5倍の時間はバイクにまたがって、悔しさと痛さに耐えていました。
私は、夕方、祖母がふかしてくれたとうもろこしを食べていたのですが、帰りながら”父がお腹が空いているかもしれない”と思い始めたら、そっちの方が可哀想になりました。
泣いているのを悟られない様に、顔を背中から離していた事まで覚えています。
幸せも足りない位が丁度良いのかもしれません。
恵まれ過ぎていると、何が幸せか、何が不幸せか解らなくなってしまいそうです。
散々な1日ではありましたが、一発の花火を見る為の道のりは
私に父に対する優しい気持ちを持って来てくれました。
今日も読んで頂いてありがとうございました。
感謝